女子新聞手帖

新聞などを読んでいて気になった、子育て、教育、医療、家、お金ほか、だいたい「女性」に関わることのメモ。

【コロナ禍・リモートワーク】今だからわかる雑談の重要性

もともと私は人見知りで飲み会が苦手、職場ではやるべき仕事だけやっていればいい、仕事が終わったら自分の時間に早く戻りたい、と思っていたわけですが、徐々に飲み会は必要だな、と思うようになっていました。

飲み会で、上司や同僚の意外な趣味や普段の性格などを知ると、仕事でのコミュニケーションが円滑になったりするんですよね。

私みたいな人見知りだからこそ、そういう気楽に話せる場が必要だったりします。

そんななか、このコロナ禍。

職場ではテレワークが推奨され、全員揃うことはなくなりました。

そして、子どもの友達、そのママ、さらに自分の友達と会うこともほぼなくなりました。

するとどうなるか。他人とくだらない話をすることがなくなった。

LINEなどでやりとりはできるけど、なんか違う。相手が何してるかわからないから気を使うし。

実際に会って笑ったりしたい。そんな時間が実は大事だったということに気づくわけです。

駐車場に車を停めて、オフィスに向かいながら同僚と挨拶を交わし、会議が始まるまでの時間、互いの週末について話を聞き、自分の席では周りの人たちとそれぞれの家族の話をしていた。わずか数分間のことかもしれないが、職場の人たちとのつながりを感じられる、非常に重要な時間として機能していた。

 雑談が私たちにとって重要な理由は、ほかにもある。雑談のおかげで緊張がほぐれ、交渉や採用面接、営業、人事評価といったより深刻な話題に移行しやすくなる。また、同僚に関して、たとえばギターを弾く、犬好きといったちょっとした情報を知ることで、相手との距離が縮まり、互いの信頼感が深まる。

リモートワークでも雑談できる仕組みが必要だ バーチャル環境で世間話を促す4つの助言 | HBR.org翻訳リーダーシップ記事|DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー

私自身は在宅勤務はしていませんが、切替が下手なので、無理だろうと思っています。

以前電車通勤していたときには、住む場所と距離があり、まったく違う空間のため、仕事モードにうまく切り替えられましたが、現在は徒歩圏内で普段の生活エリアのため、家庭を引きずってしまいうまく切替ができません。

在宅勤務によって、仕事と生活の境目が曖昧になっている。両者を分ける通勤などの習慣がなくなり、多くの従業員がギアチェンジに苦労している。雑談は、家庭での役割から離れ、マインドセットを仕事モードに切り替える助けになる。

だからこそ、会議の最初に毎回、メンバーが挨拶を交わし、冗談を言い合い、互いに楽しい質問をするための時間を組み込むべきである。会議に向けて、ポジティブ雰囲気をつくる効果もある。

 

ということで、気持ちの切り替えという意味でも雑談は有効なのではないかと思います。

 

これからの時代、セルフコントロールというか、自分で自分を律することがより大事になってくるのかなと思ったりします。

ただでさえ不安定な時代に、コロナというものが加わり、誰しもメンタルを健康に保つのが大変になってきています。

誰とも会話しなくてもやっていける人もいるかもしれませんが、多少愚痴を言いたいこともありますし、自分の気持ちを吐き出したいときもあります。

それを自分自身でうまく処理できればいいのですが、できない場合はつらくなってしまうばかりです。

身近にいる家族に言えればいいですが、近いからこそ言えないこともあるのではないでしょうか。

ちなみに、コロナ禍において、酒=悪みたいになっていますが、居酒屋やキャバクラなど夜のそういう場がないということは、開放できる場がないということです。

そこに頼っていた人にとっては、ストレスがたまるばかりです。

改めて夜の街は、社会にとって必要不可欠だったのではないかなと思ったりします。

マスオさんや波平さんがよく、仕事帰りにベロンベロンに酔っ払っていましたが、そういう風景がなくなるのは寂しいと共に、それがあるからこそ家庭円満だったのであれば、現代において男性の逃げ場はどこになるのだろうと思います。

スナックのママって素晴らしい役割を担っていたんだなと。


テレワークになれば、通勤時間やランチタイムの息抜きもなくなる。雑談もなし。

となると、自分で自分のストレス解消の場を見つけなければいけない。


こども食堂ができなくなったり、虐待が疑われる家庭への介入が難しくなっているようですが、こどもに限らず、大人でもSOSが出しづらい、気づきづらい環境になっていると思います。

ほんの少しでも話せれば気持ちが楽になるのに、それができない。

困っているけど言いづらい。

そんな人たちがあちこちに、もしくは自分の周りにいるかもしれません。


コロナ禍は、人はいつ死ぬかわからないという誰も抗えない事実と、忘れていた(忘れようとしていた)死への恐怖を改めて浮き彫りにしたと同時に、人はひとりでは生きられない、でも、自分の身は自分しか守れない、ということを私たちに教えてくれているのではないでしょうか。

そういう意味でいうと、やっぱり人は孤独だなと思います。

ひとりでは生きられないのだけど、孤独に耐えられなければ生きていけないのではないかと。


何かに依存してしまうのは、やはり健全ではない、寂しさに耐えられないとか、病んでいる状態ということ。

依存してしまうと、その依存しているものがなくなったときに、ポッカリ穴があいてしまう。

だからほどほどに他者に頼りつつ、孤独である自分も受け入れる必要があると思う。


とりあえず周りの人たちのために私ができることは、元気でいること、ただそれだけですかね。

そのためには自分で自分を元気にする術を身につけておく必要があるわけです。