女子新聞手帖

新聞などを読んでいて気になった、子育て、教育、医療、家、お金ほか、だいたい「女性」に関わることのメモ。

府中療育センターで闘争があったということについて

東京都がコロナ専用病棟として府中療育センターを活用、というニュースを見ましたが、その療育センターって廃止されたのか?と思ったら、新しい建物に移転とのこと。

新型コロナ: 東京・府中でコロナ専用病院の運用開始 中・軽症者向け: 日本経済新聞

東京都では、両施設の老朽化に伴い、平成23年6月に「府中療育センター改築基本計画」を策定し、旧府中病院跡地に両施設一体となった新センター(府中療育センター)を整備することとし、平成29年3月に着工、令和元年12月に竣工、令和2年6月1日(月曜日)に開所いたしました。

府中療育センター・多摩療育園の移転について 東京都福祉保健局

建物に入ると、エントランスには「いのちの森」をテーマにしたアートワークが施され、明るくやわらかい雰囲気が醸し出されています。4色のテーマカラーに色分けされた各病棟は、4床を基本としたユニット制となっているほか、デイルームには床暖房を設置、建物内の随所に多摩産材が活用され、入所される方一人ひとりの生活を尊重した「住まい」を意識したつくりになっています。

とのことで、昔の病院というイメージとはまったく違って、明るい雰囲気なのは通われる方、入所される方々にとって、とてもよいことだと思います。 

私が20年以上前に入院した大きな病院はとても殺風景で、たった1ヶ月でも本当に精神的に参りました。家庭で過ごす普通の生活がどれだけ幸せなものなのかと、そのとき痛感しました。

しかしながら、その普通の生活が叶わない方たちもいます。

 「東京都府中療育センターは、六八年四月、「東洋一」――国立身障センターの設立時にもやはりこの言葉が飾られた――といわれる「超近代的」な医療施設として開設された。

 (中略)

ついたてのようなしきりがあるだけの男女各一部屋ずつの大部屋に収容され、起床は朝六時(五時一五分に電灯がつけられる)、消灯は夜九時。トイレの時間も決まっていて、後にはトイレに行く(連れて行く)手間を省くために朝は全員に便器があてがわれる。面会は月に一度。外出・外泊は許可制で、回数が制限されていた。持物、飲食物は規制され、終日パジャマを着せられた。洗うのにじゃまだから髪は伸ばせない。男性職員による女性の入浴介助が行われていた。さらに、施設開設の当初には、入所時に、死亡した場合の解剖承諾書を書くことが条件となっていた。この施設の中で、はり絵、おり紙をし、歌を歌い、体操をし、週に三度散歩の時間がある。  こうした扱い、直接的には在所生に理解を示す職員の一方的な移動を発端にして、七○年十一月、在所生がハンストを始める。

府中療育センター/闘争

 

これだけ聞くと、現在の刑務所よりひどいんじゃないかとすら思う。

東洋一といわれたこの施設で、理不尽な対応があったというわけである。

  「有志グループ」の中心人物に、三井(新田)絹子さん(1945-)がいる。実兄の新田勲さん(1940-2013)も同じセンターに入所していて、兄と妹、それぞれの立場から闘争に立ち上がった。

 三井絹子さんが訴えたことの一つに、入浴・トイレの同性介助があった。 当時のセンターでは、女性障害者の入浴・トイレの介助を、男性職員が行うことがあった。裸を見られること、身体を触れられること、そして時には「いたずら」されることに、女性たちは大変なショックを受けていた。

 これに三井さんが反発して入浴を拒否すると、医師や職員たちから「恥ずかしがっていたら仕事にならない」「もう入るな」「ひねくれている」といった言葉が投げかけられ、嫌がらせを受けた。

誰かの「一線」を守るための言葉 | 黙らなかった人たち 理不尽な現状を変える言葉(荒井裕樹) | WEB asta

 

今もなお、障害者施設ではひどい扱いによる事件が起こっている。

当時からあまり変わっていないとも言える。

障害者施設虐待 なぜ見抜けなかった:東京新聞 TOKYO Web

障害者施設、虐待防止の取り組み義務化へ 22年4月から(福祉新聞) - Yahoo!ニュース

 

誰が悪いということもできない。

環境をよくするためには職員の方の待遇改善も当然だと思います。 

それは医療や介護などに携わるすべての方に通じることだと思います。

 

障害や病気は誰のせいでもなく、いつ自分の身に降り掛かってもおかしくないものです。

決して綺麗事で語ることはできず、ケアする人の大変さは、当事者でなくてはわからないものだと思います。

また、普通の子育てでも大変なのに、障害があるお子さんを持つご家族のご苦労は、いかばかりか。

 

相模原の事件もいずれ風化してしまうかもしれない。

でも、忘れてしまっては依然として社会は変わらない。

大多数の人間は、当事者とならない限り、あまり関わることはない。 

考える必要がないのである。

というか、考える余裕がない、のが正確かもしれない。

 

いまも毎日、施設でケアする人とケアされる人がいるということ、自分の思い通りに行動できない人がいるということ、そんなことを忘れずにしておきたい。

 

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