きょうは「おとうさんといっしょ」を見て、
話題の「おとうさんといっしょ」を初めてみたよ、の巻。 - 女子新聞手帖
前回感じた違和感はなく、歌に合わせて「あそびたいあそびたいあそびたい♪」
と口ずさんだあと(笑)、
そのままワンワンパッコロキャラともワールドへ。
ほのぼのさんのクイーン熱唱、めいちゃんの「悲しみよこんにちは」(斉藤由貴)で
子どもはわかるのか?と思っていたら、
「おしん」の再放送が始まりました。
この「おしん」、最近たまに見ていてビックリしたのですが、
もちろんリアルタイムでは見たことがなく、
印象がなかったのです。
しかし、これ、大人になってスーパー田倉(たのくら)を経営する話なのですね。
そして、苦難を乗り越えていまのスーパーをつくったおしんと、
商売を時代に合わせて変えていきたい長男たちとは意見が合わず、
長男の嫁は育ちが裕福でワガママ。
その代わり、独身を貫き、健気におしんの面倒を見る養女がいたりと、
「渡る世間」よりこれでもか!というほど、ドロドロしている気がします。
今週ショックだったのは、陶芸作家の希望(のぞみ)の妻、百合が交通事故で死んでしまったこと。
希望は奉公先の娘、加代の子どもで、加代が亡くなったあとおしんが引き取った。
しばらく田倉を手伝っていたが、商売は合わないと、陶芸の道へ。
で、ついに、陶芸作家としてようやく身を立てられそうになり、
おしんは息子たちが進めたがっているスーパー田倉のチェーン化を許す代わりに、
希望には、独立してほしいと窯と新居を立ててやることに。
この新居が完成し、もうすぐ引っ越し、というところで、
おしんと養女初子が訪ねたその日のこと、
台所の電球が切れたとかで出かけて、事故に遭ったらしい。。
おお、なんという…!!
(ちなみにうちのおばあちゃんは家を建てると誰かが死んだりとか、
何か起きるから注意しろ、とよく言ってました)
しかもこの百合は昔おしんの長男、仁と関係を持っていて、
結婚するつもりでいたが、うまくいかず田倉の家を出たという過去があり、
仁に「百合ちゃんはあのときどんだけ傷ついたと思ってるの!」と過去を掘り出してしまい、
仁夫婦には「通夜に来ないで!」という結末。
まあ、結局気になるのは、このスーパー田倉のゆくえ。
そもそも、いまの時代ではイオンやイトーヨーカドーなど、
チェーン店が普通で、個人商店の生き残りはかなり厳しいと思います。
息子たちは、
支店をたくさん出せば、商品を安く売ることができるので、
こんなにいいことはない、
借金してでも設備投資して、その分以上に儲けられるよ、
なんていったって、いまの経済成長はすごいんだから!
というかんじの話をしていましたが、
昔は成長がどんどん進んで景気が上を向くだけだと、信じて疑わなかったんだろうなあ、
となんだかしみじみしてしまいます。
ヤオコーなど個人商店から始まった商売はたくさんあると思います。
しまむらとヤオコー | ビジネス | 社会・ビジネス | 書籍 | 小学館
成功の秘訣ってなんなんでしょうね?
おしんが定休日の日にボソっと
「従業員の管理って大変よ、休ませないといけないんだから」
「昔は休みなくやっていてそれが当たり前だったのに」
みたいなことを言っていましたが、
従業員が増えると、なおさら大変になると思うので、
そのあたりはポイントな気はします。
ちなみに、ヤオコーは従業員の愛社精神、帰属意識が強いようです。
「おかげさまで」を貫き日本一の食品スーパーを目指す ヤオコーの21世紀戦略
パートナー(従業員)の改善事例発表会というのをやっているそうですが、
記事に出ていた回で最優秀賞を受賞した川上さんは
「「お母さんヤオコーのこととなるとすごいね」と息子たちに言われる」のだとか。
「なぜそこまで頑張れるのか?」との問いに川上は「ヤオコーが大好きなんです。そして川野会長の考え方が好きです」と笑顔を向けた」。
「ヤオコーのパートナーは唯のパートではない。品出しから、売り場づくり、客数、売り上げ個数を予測、受発注に至るまで何でもこなす。まさに売り場の運営を任されているのだ。だからこそ自ら考え、行動し、後輩パートナーを育て、数値まで管理する。ここまでパートナーに権限委譲しているスーパーは他に見当たらない 」
という。
そして、
「ヤオコーの創業は1890年、祖父川野幸太郎が埼玉県武州小川町に食料品店を開業したのが始まりである。1957年にはいち早くスーパーに業態変換、地元の繁盛店として賑わった。その後1969年には川野が入社、母トモと共に二人三脚でヤオコー発展に尽くすことになる」
と母と息子という意味では、スーパー田倉と同じ。
「川野が入社したことで、ヤオコーの近代経営に弾みがつき、チェーン展開を進めることとなる。店舗数が増えようが、従業員が増えようが、母トモの慈愛に満ちた家庭的な経営スタイルは変わらなかった」
というわけで、
チェーン展開をしても、スタイルは変わらなかったという。
仁の強引なかんじからすると、おしんに引退してもらって、
いろいろ自分の好きなように変えてしまいそうですね。
「ヤオコーについて、イトーヨーカ堂創業者の伊藤雅俊は「あのぐらいの規模が一番いいんだよね」と語ったと聞く。大きくなればなるほど、創業の想いを浸透させるのは至難のワザということなのであろう」
というように、大きくなれば従業員の気持ちをひとつにしたり、
社長の思いを伝えるのが大変になると思います。
そこがポイントなんでしょうね。
ほんの数人の家族のなかですら、気持ちをひとつにするのは大変なことです。
気苦労が絶えないおしんの人生は成功なのか、なんなのか、
ちょっと考えてしまう今日この頃です。。