女子新聞手帖

神奈川県在住、自由気ままな30代ワーキングマザー。日課は新聞を読むこと。活字好き。

違うものを認め合う共生は可能なのか

津久井やまゆり園の事件から2年だそうです。

近隣エリアに住み、事件当時はかなりの衝撃でしたが、すっかり忘れていました。

ただ、神奈川県の広報とかに「共に生きる」というメッセージがいつも出ていたので、あの事件があったからな、と思ったりはしていました。

逆に事件がなかったら、特に県や市から強いメッセージは出てなかったのではないかと。

【やまゆり園事件2年】共生問われる社会|カナロコ|神奈川新聞ニュース

 

突然最近になって、事件のことを思い起こさせたのは、息子が通う療育施設に貼ってあった「津久井やまゆり園で悲しい事件が起こってしまいました」というプリントを見たからでした。

障害のある当事者、家族の方たちにとっては決して忘れることのない出来事だと思うのですが、正直それ以外の者にとってはすっかり記憶にも残らなくなっているのではないでしょうか。

 

そもそもやまゆり園はもともと旧相模湖町にあり、相模原市中心部からは離れた場所にありました。

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http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E7%9B%B8%E6%A8%A1%E6%B9%96%E7%94%BA

 

高崎市の国立のぞみの園の様子をNHKの番組で見ましたが、重度の障害の方だと、地域と隔離した施設で生活せざるを得ないのかな、と思いました。

遠藤: あの当時は社会の要請として、大規模コロニーが求められていました。その後、障害者福祉の理念がどんどん変化していきましたが、その流れについていくのに苦労したのは事実だと思います。
 しかし、1980年代の前半ぐらいまでは、知的障害のある人の居場所が社会の中にかならずしもありませんでした。そのために、こういう施設をつくらざるを得ない事情があったのだと思います。親としては、「自分たちの子どもを守るには、社会の中では難しい。でも、施設の中なら安心して生活できるのではないか」、そういう切実な思いがあったのだと思います。
 子どもはかわいいですしね。親の気持ちとしては、自分が介護を受けるような年齢になったり、親亡き後になっても、子どもたちが安心して暮らせる居場所を確保してあげたかったのだと思います。だから、親の会は行政に対して、施設をつくることを求めたのだと思います。それで平成の時代になっても、しばらくは施設建設の流れは止まらなかったのだと思います。

知的障害者の施設をめぐって 第12回 のぞみの園:施設から地域へ | 福祉の潮流 | ハートネットTVブログ:NHK

 

施設ではなくて地域で生活するのが望ましいとするノーマライゼーションが世界の共通理解となっていきました。その流れを受けて、この施設をどう変えていけばいいのか、職員は相当悩んだと思います。 

グループホームなどで暮らせる方はもちろんそのほうがいいと思います。

しかし、障害の程度によっては、特に意思表示が難しい方にとっては、社会生活を営むというのはかなりのハードルであると感じます。

 

というのと、奇声を発したりする方もいるし、障害者に対して、怖いなと思うのが正直なところ。

初めて障害のある方と接すると、拒否反応を示す人もいます。それでは、地域で暮らしていくのが難しくなります。私たちの施設でも年1回フェスティバルを開催して、地域の多数の方に参加していただき、また地域の運動会に参加したり、地域の公民館の芸術祭にうちの入所者の作品を出品したりして、交流を深める活動を積極的に行っています。 

やまゆり園でも地域との交流はあったようですが、それでは施設がないところに住む人々は障害者を知らずに生きていくだけだと思います。

 

うちの近所に高齢者施設がありますが、とても地域との交流があるようには思えず、入居者の方はただひっそりと施設のなかで暮らしているように見えます。

また、地域では自治会もありますが、そもそも近所の方との関わりですら、密ではなく、 こんな社会で共生なんてできるんだろうか、と思ってしまいます。

 

結論としては、どうにも解決法が見つからないし、実現できるんだろうか、ということです。

 

優生保護法がなんと1996年まで普通に存在していたことや、出生前診断の是非など、根にある優生思想も今後なくならないのではないかと思います。

結局何も変わっていないのではないかと。

障害者や高齢者、経済的に困窮状態にある人だけではなく、病気で思うように働けない人、コミュニケーションが苦手だったり他人と異なる特徴があったりして学校や職場に居づらい人など……。一見“普通”にしていても、いつ「役に立たない」と排除されるか不安を抱いている側からすると、今回の事件は他人事ではない。

「優生思想」は現代社会に脈々と息づいている | GALAC | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

ある意味、社会に適応できない者はすべて排除されそうな社会。

生きづらさを感じることが多い世の中でどう生きていけばいいのか、皆自分のことでいっぱいいっぱいで、他者への思いやりを持てるのか。

どうすれば、違う考えを認め合えるのか。

一生考えても答えが出ない気がします。

 

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