女子新聞手帖

新聞などを読んでいて気になった、子育て、教育、医療、家、お金ほか、だいたい「女性」に関わることのメモ。

「知らぬが仏」ではない!健康なうちに考えたい医療・介護の問題

きょうたまたま見つけたのが医学書院という出版社のwebマガジンのひとつ。

「おうちにかえろう」アーカイブ|かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-

 

伊藤佳世子さんと大山良子さんというお二人の女性がが書かれているのですが、

伊藤さんが介護のお仕事をしていて、大山さんはSMA(脊髄性筋萎縮症)という難病の患者さん。

脊髄性筋萎縮症 - Wikipedia

大山さんは30年も病院に入院していて、いまは無事に地域に戻って生活しているというお話。

 

ここに書いてあることすべてがとにかくビックリなのですが

特に病院での生活の話が凄まじい!

 

はっきりいって患者はモノ扱い。

看護師はとにかく仕事をこなすのが一番のようで、患者の気持ちを考えるなんてことはない模様。

 

「車いすから降りる時間も決まっています。端の部屋から順番に降りていきます」というように、

毎日の日課がきっちり決まっているそうですが、

「車椅子を降りる時間に部屋にいないとか、夕食を食べ終わる時間が遅いとか、少しでもスタッフの流れを狂わすような行いをしたら、”自分勝手な患者”というレッテルが貼られ、嫌味を言われたりします。また一度でもそういうレッテルを貼られると、そこでの生活がしにくくなります

となってしまうんだとか。

 

トイレの時間も明確に決まっているそうです。

とはいえ、人間なので、急に催すこともあると思うのですが、

そんなときは「スタッフから、なかなか言葉にはしないけど、「なんで今の時間にするの?」みたいなオーラを出されてきます」。

【第2回】「子どもや家族を思えばこそ死にたい」|かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-

 

また、「現在では、各個を仕切るカーテンが病室に付きましたが、1992(平成4)年に筋ジス病棟が建て替えられるまで、それもない状態でお尻を出します。隣でうんちをしているのにすぐこちらでごはんを食べているという状況もありました」とか、

「職員どうしで入浴が終わる時間を競い合って、「今日のお風呂はこの間より30分も早く終わった」と嬉しそうに言い合う人もいました」

…って、そういう争いをするしか楽しみがないのか?と思うことや、

介護する側と介護される側。お世話になるので、介護される側が弱くなります。介護する側は、『やってあげているのよ』と強くなります。そして、万年の人手不足がより一層スタッフの強さを大きくします。手足を動かすにも、ポンっと投げるようにするスタッフもいました。トイレを頼むと、露骨に嫌な顔をするスタッフもいました。呼ばれていても聞こえないふりをして逃げて行くスタッフもいました

など、書かれていることに目を疑いたくなります。

【第3回】療養介護病棟での「生活」|かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-

 

健康であれば、そういう現場を見ることは正直、これからもないかもしれません。

 

でもこういう現実もあるのです。

 

祖母がデイケアに行きたくないと言いだしたとき、

理由が「食べるのが遅いからつらい」でした。

 

そのときは、そんなこと気にしなくていいのよ、と思ったけど、

こういう場ってやっぱり「集団生活」なので、人より遅いとか人と違う、

といったことがあると、生きづらいのかもしれません。

 

職員の方も過酷な仕事で肉体的にも精神的にも大変だと思います。

知的障害もあったHちゃんに対して、

「ベッド上にいても様子を見に行くわけでもなく、「体が痛い」と言っても「さっき(体位を)替えたでしょう」と怒られ、足に褥創ができてさえ、頻繁に体位を変えてあげている様子はありませんでした」。

「Hちゃんが『かんごー、かんごー』と助けの声を発しているのに、「うるせーなー」とか「さっきやっただろー」という、医療や福祉の仕事に就く人とは思えない汚い言葉が返ってきます」。

【最終回】みんなで、おうちにかえろう|かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-

 

そんな人たちも、この仕事に就こうと思ったとき、

「人の役に立ちたい」と思っていたかもしれないけど、

現場に入れば、自分だってイライラしてしまう。

人間であれば当然のことだと思います。

 

でも、こういう状況は許されるものではありません。

施設の運営はこれでいいのでしょうか?

職員に対するケアはちゃんとなされているのか?

 

何年もの間、病院(もしくは介護施設)で暮らす人にとってはそこが生活のすべて。

 

そんな場所がつらい場所になるなんて、とてもじゃないけど、やってられないです。

 

わたしたち(健康な人間)は、毎日自分の家で寝起きし、仕事に行って、

お休みの日は友達と遊んで、おいしいものを食べて、眠くなったらまた寝る…

 

そういうあたりまえのことを病院にいればできなくなります。

 

わたしはほんの1ヶ月くらいしか入院したことないけど、

それでもつらかった。

 

それを自由がまったくきかない体で、誰かの助けが必要ななか、

ずっと病院で暮らす生活って想像できますか?

 

誰しもお世話になる医療や介護。

でも、慢性的な人手不足だし、お金(医療費)のこともそうだけど、問題は山積だと思います。

 

高齢者はどんどん増える。

在宅ケアをするにしても、そのための人材が必要。

障害を持っていても長く生きられる、病気も治りやすくなった。

そうなったがゆえ、ますますそういう人手やサポートが必要なのです。

NICU(新生児集中管理室)が意味するもの 当事者へのサポートについて - 女子新聞手帖

 

でも一般の人にとってはそういうことを知る機会もなく、

完全な理解があるとは思えません。

 

自分の親が介護生活に入ってからでは遅いのです。

夫が急に病気になって、介護が必要になるかもしれない。

ましてや、自分自身の体が不自由になるかも…。

 

いま健康に生きられていることは本当にありがたいことで、奇跡だと思います。

 

でもいつ、どうなるかわからないのです。

 

今回書かれていた現場でのことがどこにでもあるわけではないと思いますが、

現実に起こったことであることには間違いありません。

またどこにでも起こりうる話だと思います。

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現代では栄養状態もよく医療の発達もあり、死が身近にあった昔とは違って、

いまは何も考えずに生きていける世界だと思います(少なくとも若いうちは)。

納得できる死を「創る」にはどうすればいいか インタビュー 東洋経済オンライン 新世代リーダーのためのビジネスサイト

 

実際、わたしはつい数年前まで人が死ぬという現実に居合わせたことがなかった。

 

その、死が間近になっている場で体験したのは、人が死にそうになっているのに、

看護師や医師の対応が冷たく感じたこと。

(向こうはそのつもりはなかったかもしれないけど、高齢者が多い病棟なので、またか、ってかんじだった)

そういうことは経験するまえに、想像するなんてことはとても難しい。

 

どう生きてどう死ぬかとか、難しいことを常に考える必要はないと思うけど

(いずれ必要だとは思います)、

少なくとも、現場の現実、

そして家族や自分が患者(介護される側)になる可能性があるという現実は、

頭に入れておくべきだと思うのです。

 

人は「生きる意思」だけでは生きられない」し、「人は原子のように「個」として存在するのではなく,「関係」を存在の条件」としていると思う。

いろんな人の関係、支え合いがあって生きられるものだと。

医学書院/週刊医学界新聞(第2881号 2010年05月31日)

 

それは普段、忘れがちではないでしょうか。

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