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女子新聞手帖

新聞などを読んでいて気になった、子育て、教育、医療、家、お金ほか、だいたい「女性」に関わることのメモ。

「母よ!殺すな」昔、横浜で起こった障害児殺人事件について思うこと

きょう、本屋さんで偶然手に取った本が衝撃的でした。

母よ!殺すな

Amazon.co.jp: 母よ!殺すな 横塚 晃一, 立岩 真也 本

 

著者の横塚さんは脳性マヒで「全国青い芝の会」という障害者団体の会長だったそう。

(1978年に亡くなっています)

 

この本は、長く絶版だったのが2007年に復刊されたらしい。

 

そこで初めて知ったのが、1970年に横浜市で起こった、母親による重度の脳性マヒ児の殺人事件。

「障害児二人を育てる母親が、二歳の女児をエプロンの紐でしめ殺したのである。当時のマスコミは母親の犯行を日本の福祉施設の不備故に起きた「悲劇」であると報じ、地元では母親への減刑嘆願運動が起こった。これ対して、神奈川県の脳性マヒ者の当事者会「神奈川青い芝の会」は、強い異議申立をする」。

 

普通、子どもが殺された場合その子どもに同情があつまるのが常である。それはその殺された子どもの中に自分をみるから、つまり自分が殺されたら大変だからである。しかし今回私が会った多くの人の中で、殺された重症児をかわいそうだと言った人は一人もいなかった。(略)今回の事件が不起訴処分または無罪になるか、起訴されて有罪となるかは、司法関係者を始め一般社会人が、重症児を自分とは別の生物とみるか、自分の仲間である人間とみるか(その中に自分をみつけるのか)の分かれ目である。障害者を別の生物とみたてて行う行政が真の福祉政策となるはずが無く、従って加害者である母親を執行猶予付きでよいから、とにかく有罪にすることが真の障害者福祉の出発点となるように思う。』

みんな!殺すな スルメブログ(本からの引用)

 

つまり、罪は罪としてきちんと罰するべき、と主張したとのこと。

 

やっぱり、健常者からすると、障害者は別の人間、別のものとみているのだろうか。

 

この世の中は、健常者中心でできている。

だから、障害者はマイノリティになる。

 

いまはだいぶ優しい社会になっているように見えるけれど、

昔は相当大変だったようで、バスにも車椅子で乗せてくれなかったり、

小田急の梅ヶ丘駅にスロープをつくってほしいとお願いしたときは

「障害者はタクシーに乗ればいい」と言われたりしたとか。

青い芝の会・歴史(結成から横塚晃一死去まで)

東京都|世田谷区|梅ヶ丘|特定非営利活動法人自立の家|障害者介護|障害者自立支援|ヘルパー|求人

 

昔はそういう考えが一般的だったということでしょう。

じゃあいま大きく変わったか、というとそうでもないかもしれません。

 

1979年以前は、養護学校は義務教育ではなく、

重度の障害者の方たちは就学しなくてよい(就学免除)、ということだったらしく、

知識も身につけられず、社会参加はできず、ただただ家などで過ごすだけ、ということになっていたようです。

特別支援学校 - Wikipedia

いまは学校で学ぶことができるけれど、その後の就職はまだまだ厳しいかと思います。

そういった問題はまだ根強く残りそうです。

 

だから障害児をお持ちの親御さんはこの子は生きていけるのだろうか、という不安を抱え続けているのではないでしょうか。

 

しかし、将来を悲観しての殺人事件は、障害だけでなく、病気やお年寄りの介護でも見られますが、

「かわいそう」で殺していいのだろうか。

「介護でつらかったでしょう」、だから殺しても無罪でいいのか。

 

もちろん、介護される側もする側も、相当大変な苦労を背負っていると思います。

同情の気持ちはわかるけど、何が問題なのか、

その苦労をつくっているのは、行政の制度とか、人々の意識ではないのでしょうか。

 

事件になってしまう前に、わたしたちは助けられなかったのか。

行政のサービスなどで援助できなかったのか。

 

わたしは障害者ではないから、障害者の気持ちや苦労はわかりません。

いままで生きてきて、家族にもいないし、学校にもいないし、障害者のことを考える機会はほとんどなかった。

周囲にいなければ、何もわからないまま。

「そういう人たちがいる」ということすら、わからず生きているのではないでしょうか。

 

でも、本当はみんな考えなくてはいけないことだと思います。

現状、考える機会はない。

 

当事者になってからはどうしても考えざるをえないけど、

当事者ではなくても考えるべきでは。

 

わたしの育った家庭環境は、周囲の友達とは違ったから、

わたしのことは誰もわかってくれない、と思って生きてきました。

たまたま周りに同じ境遇の人がいなかっただけかもしれないけど。

 

現実問題、自分が経験していないことをわかることはできないと思っています。

 

社会のなかで、隔離されているような意識。

ああ、みんなと同じではないんだ、というような。

なんとか社会に出ることはできても、ずっとひきずっていました。

 

たとえば、なにか事件があって、犯人の家庭環境に問題があると、

「ああ、やっぱりね」

ってなるのは、すごく残念だといつも思います。

 

家庭環境に問題がある人は、ふつうの人から見て、別の世界の人なんだろうか。

 

そもそも「ふつう」ってなんなんだろうか。

人間って人それぞれ違うはずなのに。

違っていいはずなのに。

 

そんなことを今回、過去起こったこの事件を知ってしみじみ思うわけです。

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